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自転車ツーリングはなぜ飽きるのか?

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最近、5ヶ月前に書いた「自転車をやめる理由」や1年前に書いた「ロードバイク不要論」という記事がなぜか人気記事の上位に上がってきています。その理由を考えてみると、こういうネガティブな記事を書く人が少ないからこそ検索上位でヒットしやすいんですよね。そうか、アクセスを伸ばすには自転車が嫌いになるようなネガティブ記事を書けばいいんだ!(爆)

「自転車大好き!」的な記事は当たり前すぎてそんなもん書いたってアクセス伸びるわけないんですよね。好きな人はブログを続けてるからどんどん書くけど、やめた人はもう興味がないから自転車について書くことは少ないわけです。僕は基本的に自転車が嫌いですから(爆)、もともと自転車に否定的なスタンスを持っています。"No Bike, No Life"な人々とは違うんです。それならば自分にしか書けないような自転車のネガティブ面を表に出していけばいいんだと気付きました。これからはネガティブ系自転車ブログを目指します(爆)。

というわけで今回のお話は「自転車ツーリング」について。自転車という趣味を大きく二つに分ければ、競技系とツーリング系に分かれると思うんですが、今の主流は圧倒的に競技系。もちろん自転車ツーリングという分野は非常に古くからあるわけで、誰もが一度は通る道なんですが、これがなぜか流行らない。その象徴的な出来事はツーリング系自転車雑誌の衰退でしょう。昔からツーリング系の雑誌というのはあって、今も次々と創刊されてはいるんですが、そのどれもがすぐ廃刊になる運命なんですよね。これって何なんでしょう? 需要自体はあるはずなんですけど、なぜか続かない。もしかするとその背後にはツーリングに本質的な「飽きやすい」という事情があるのではないかと気づき始めました。

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世の中には数多くの趣味というものがあって、中には他人に理解しがたいようなものまでありますが、それを大きく分けると「鍛錬系」と「収集系」に分かれるんじゃないかと思うんですよ。鍛錬系というのはスポーツは言うまでもなく、楽器の練習とか、お茶のお稽古とか、およそあらゆる芸事、習い事はこの範疇に入ると思います。そこでは練習を積むことによって自分の能力や技量が向上し、上達を感じられることに喜びを見出しています。つまり「進歩」があるからこそ厳しい練習にも耐えて続けられるわけです。

一方で収集系に属するのはいわゆるコレクション趣味です。古くは切手やコインをはじめ、美術品や骨董品のコレクションは今でも王道ですね。わけのわからない物を集める人もいますし(笑)、身近なところではカメラのコレクターというのも必ずいますね。これらに共通することは、あるカテゴリーに属する品物をもれなく集めること、つまりコンプリートすることに意義があるんです。そのためにはいかなる労力や資金も惜しみません。レア物になるとそう簡単に手に入りませんから、何十年もかかってやっと探し出したり、全財産をなげうって手に入れたりするわけです。しまいには嫁さんに呆れられて離婚されたりとかね・・(爆)。そこまでする執念には敬意を表しますが、とても普通の人に真似できることじゃないですね・・

でも集めるのは何も物だけじゃないんですよ。行った場所というのもコレクションになり得ます。たとえば登山で言えば日本百名山完登なんかはまさにそうです。そこへ登ったこと自体が自慢になるわけで、こういうシリーズ物はコンプリートすることに意義があるんです。中には登ることがとても難しい山も含まれるので、僕はやろうと思ったこともありません。初めから無理とわかっていることには手を出さないんです。途中でやめるのって悔しいですから・・

ところで自転車という趣味はどちらに属するのかというと、これがきれいに二つに分かれるんですよ。ロードレースやヒルクライムをはじめとする競技系は言うまでもなく鍛錬系に属します。レースをやっている人はみんな上位入賞は無理にしても、自分なりに努力して1秒でもタイムを縮めるために日々練習に励んでいるわけでしょう? そこでは前の自分より確実に強くなったことに喜びを見出せるわけです。それこそが自転車に乗ることへの強力なモチベーションになります。

一方でツーリングというのは同じ自転車でありながら明らかに収集系に属するんです。これはもう間違いありません。物を集めるのとは違いますが、自転車ツーリングにとって収集の対象となるのは、地図の空白域を埋めることなんです。また知らない場所に行って写真を撮ってくるというのもあるでしょう。それは言ってみれば風景のコレクションです。だからツーリングというのは本質的に収集系の要素がたっぷりあるわけですね。

ということはツーリングもコンプリートすることが目的になってしまう宿命を負っているんですね。誰でも最初は自分の家の周りから始めて市内一周とか、次は隣の町までとか少しずつ行動半径を広げていきますよね。そして100kmくらい走れる自信が付けば隣の県まで挑戦したり、輪行も使ってもっと遠方まで足を伸ばしたりしますよね。こんなに遠くまで来れたとか、自分の行動半径が広がっていくのは純粋に楽しいことなんですよ、初めのうちはね・・。つまりツーリングも初めのうちだけ「進歩」の喜びがあるわけですよ。

ところがある程度慣れてくると、そんなのはもう当たり前になって何の感動もなくなるんですよ。そして10年もやってれば行ったとこばっかりになってしまいます。地図の空白域を埋めるにはもっと遠方へ行くしかなく、当然自走では不可能で輪行したり宿泊も必要になってきます。そうなると時間もお金もたくさん必要になりますから、そう簡単には行けなくなります。僕の場合、近畿圏はほとんど行き尽くされていて、あとはせいぜい中国地方や信州辺りが限界となりますが、それももうほぼ行き尽くされています。となるともっと遠方へ行くしかないわけですが、僕はお金がないので北海道とか行けるわけがないんですよね。するとツーリングはこれにて打ち止めとなります。

そしてお金がないと最終的にどうなるか? 行ったとこばっかり延々とエンドレスで繰り返すようになります。今がまさにこの状態で、過去記事を見れば1年サイクルで同じパターンを繰り返していることがおわかりでしょう(笑)。もう行かなくてもわかってることばっかりですから、何の面白味もないんですよね。もちろんレースが目的の練習ならいつも同じコースを走ることはむしろ普通のことでしょう。それは1秒でもタイムを縮めるという明確な目標があるため、少しでも進歩があればそれで満足できるのです。しかしツーリングには進歩というものがないんですよ。ツーリングでいつも同じコースを走ったって、適当に休憩したり、寄り道したり、写真撮ったりでタイムを縮めることなんか気にもしないでしょう? そこには何の目標も進歩もなく、ただのマンネリに過ぎないんですね。

コレクション趣味のすべてに言えることですが、初めのうちは面白いように集められても、だんだん手に入れることが難しいレア物ばかりが残ってきて、最終的にはものすごく高価な物しかないので諦めざるを得なくなります。それで仕方がないから簡単に手に入るありふれた物ばっかり集めても面白くも何ともないわけでしょう? ツーリングもそれと全く同じなんですよ。つまりツーリングはコンプリートすることが目的だから、金銭的な事情でそれが叶わないとなると最後はマンネリに陥るしかないのです。それはもう進歩も何もないただのルーティンに過ぎません。だからツーリングはすぐ飽きるんですね。今の僕はまさにその末期症状にあります。

自転車ツーリングというものは本質的に収集系の趣味ですから、その道を極めるにはコンプリートするしかないんです。わかりやすい例で言えば日本一周あるいは全都道府県制覇がそれに当たるでしょう。そして国内も行き尽くしてしまえば次は海外へ行くしかないんですよ。この趣味をとことん極めるならば、最終的には世界一周を達成するしかないのです。そこまで行くともう冒険ですから、人生の全てを捨てて挑戦する覚悟がなければ普通の人にはとても真似のできないことですね。

自転車ツーリング雑誌がすぐ廃れる理由も同じだと思うんですよ。だいたい編集部って東京にあるでしょ。だからどうしても東京近郊の取材が中心になります。でもそれだけじゃマンネリになるからたまには遠方の取材もしなければなりませんが、最近は出版不況ですから北海道や沖縄まで取材に行く予算なんてそう何回も出せないんですよ。ましてや海外取材なんてとても無理でしょう。そうすると3年もやってれば一巡してネタ切れになっちゃうんですね。そして読者もマンネリで飽きてくるからますます売れなくなります。そうやって廃刊に追い込まれるのでしょう。

考えてみれば、僕には収集系の趣味って全くないんですよね。今まで少なからず手を出したことはありますが、すぐ飽きてやめちゃう。それは初めは面白くてもすぐ行き詰まってしまうからなんですね。世の中には凄いコレクターなんて山ほどいますから、そういう人を見ちゃうと自分にはとても無理と思って諦めちゃうわけです。つまり収集系の趣味には初めから限界が見えているんですね。それはほとんどの場合、お金が理由であることが多いです。自転車ツーリングも同じことで、最終的には金銭的な理由で限界が初めから見えています。限界がわかっていることをやるなんて進歩がないからつまらないわけですよ。根本的に僕には収集系の趣味は向いてないんですよね。おそらく自転車ツーリングが好きな人って、間違いなく収集癖があるんだろうと思います。

でも鍛錬系の趣味はそうじゃないんですよ。自転車なんていくら頑張っても速くなりそうな気はしませんが(笑)、何でも長く続けていれば必ず進歩する「可能性」はあるんですよ。たとえばギターの凄く上手い人を見て、ああいう風になりたいと憧れることはあるでしょう。それは憧れだけでなく、努力次第で自分もなれる「かもしれない」んですよ。水泳なんて僕は「全く泳げない人」でしたが、余裕で500メートル泳げるようになりましたよ。自分は運動音痴だから絶対できないと思っていたことができることもあり得るんですね。そこにはお金は関係ありません。努力だけが全てです。つまり限界はあるかもしれないけど、それが初めからわかっていることはないんですね。やってみなければわからないんです。だからこそ自分の進歩を信じて続けることができるんです。そこが収集系の趣味との決定的な違いですね。

長くなったので最後にまとめましょう。

自転車ツーリングとはコレクションの一種である。地図の空白域を埋めることだけが目的になるから、いずれ壁にぶつかる。その壁を乗り越えるにはお金が必要。初めから限界がわかっていることをやっても面白くない。何の進歩もなく同じ行動を延々と繰り返すことをマンネリと呼ぶ。だから自転車ツーリングは飽きる。

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