姑息な商売

スポンサーリンク
カメラデジタルカメラ

e_p2

この秋出るだろうと噂されていたE-P2がついに発表されましたね。国内での正式発表はまだですが、欧州のサイトでは先行して発表されています。

E-P1は発表以来大きな注目を集め、現在もシェアの上位を占めるなど好調なセールスを維持し続けているようです。オリンパスとしては久々のヒット作であり、「大成功」と言えるのでしょうが、果たしてユーザーが手放しで喜んでいいものか疑問に思います。奇しくもこのE-P2を見てE-systemの行く末が見えてしまったような気がするのでした・・


E-P1というカメラは不思議なもので、「素晴らしい」「よくやった」と絶賛する声がある一方で、「使えない」「懐古趣味」とボロクソに貶す否定的な意見の両方がほぼ同じ割合で混在しています。残念ながら僕は否定的な方の見方をしています。だいたい中身よりも名前やデザインで売ろうとするコンセプトが気に入らないし、20年以上も前に製造終了した機種の名前を今さら引っ張り出して過去の栄光にすがるという姿勢は姑息であるとしか思えません。ミラーもないくせに「マイクロ一眼」などというしらじらしい言葉を作り出したのも笑えます。僕にはこのカメラがE-systemの終焉を予感させるものに思えてならないのです。

E-P1の成功に味をしめてE-P2を発売した、というよりはこれは当初からの計画だったのでしょう。しかし「二匹目のドジョウはない!」、これははっきり断言できます。E-P1が発売されてまだ4ヶ月しか経っていないのに、このタイミングで後継機発表とは完全にユーザーをなめています。だいたいE-P2で真新しい点と言えば、外付けのEVFが付けられるようになったことくらい。内蔵するならまだしも、オプションで付けられますよというだけで新製品になるのか? それじゃE-P1を買った人は何だったのか? EVFの端子を付けるだけならなぜ最初から付けなかったのか? E-P1という中途半端な機種を売りつけておいて、すぐさま改良型を出すということは、既存ユーザーに対する裏切りに他なりません。でもこれは最初からそういう作戦だったのでしょう。それを裏付ける証拠がブラックボディーです。E-P1でブラックボディーを出さなかったのは、E-P2のためにあえて取っておいたと読み取れるからです。ブラックボディーが欲しければE-P2を買え!と。ああ、何というあざとさ・・

ただユーザーを裏切ってまでE-P1を出したのは、「一刻も早く出さなければならない事情」があったのだろうと想像できます。最近は一眼レフでも動画撮影が当たり前になってきており、そうなるともはやミラーは無用の長物でしかなくなります。ミラーレス化の流れは時代の要求からいっても避けられないと思います。他のメーカーもただ手をこまねいて眺めているわけではなく、当然秘かに開発を進めているはずです。噂によればソニーがAPS-Cサイズでミラーレスのカメラを開発していると聞きますし、ニコンや、そしてリコーもレンズ交換式カメラを開発中の噂があります。当然、開発陣はそういう動きを察知しているに違いありません。そうなればまたセンサーサイズの小さいフォーサーズは不利な立場に置かれるわけで、何としてでも他社より早く出す必要に駆られていたのでしょう。実際のところ、この手のカメラを作るのが抜群にうまいキヤノンに出されたらひとたまりもないと思いますね。そこでEVFの完成を待つことなく、一ヶ月でも多く利益を確保するためにあえて「未完成な」E-P1を市場に出すという暴挙に至ったのだろうと推測されるのです。

だいたい同じフォーサーズでありながら2つのマウントが存在すること自体、効率が悪いですね。マイクロフォーサーズ規格発表の時点でフォーサーズ終焉への序曲だったのかもしれません。今後は間違いなくマイクロに開発の主力が移って、従来のフォーサーズは整理されていくことでしょう。マイクロで息を吹き返したかに見えるフォーサーズですが、それも束の間、来年には他社からも同様のミラーレス機が発売され、オリンパスはあっという間にシェアを落としていくことでしょう。何かAF化で失敗したときと同じ道をたどりそうな気がします。そして最悪はカメラ事業から撤退・・・というシナリオも見えてきます。こんなユーザー不在の姑息な商売をやってるようじゃ、オリンパスももう終わってますな。パナの方がよっぽどまともなカメラを作ってるし・・

こうなるとデジカメも将来的にはビデオと一体化していくことはほぼ間違いないでしょう。かつてのワープロ専用機が姿を消したように、ビデオ専用機というのもデジカメに吸収されていくことでしょう。どっちが主でどっちが従かはわかりませんが、ビデオカメラの一機能としてスチル写真も撮れるという風になるのでしょう。そしてシャッターという概念もなくなり、常に撮りっぱなしで後からコマを切り出すというのが「写真」の最終的に行き着くところでしょう。連写を極限まで進めれば自然とそうなるからです。

何でデジカメで撮るのがつまらないのかやっと理解できました。それはビデオを撮っている気分にしかならないからです。無限ではないとはいえ、連写でバシャバシャ撮って後から選ぶのは本質的にビデオから切り出すのと変わりません。そしてビデオといえば家電製品。一年どころか半年で時代遅れになるのが当たり前の世界です。そこには愛着もクソもなく、消耗品のように次々と消費していくだけ。カメラは限りなく悲しい方向へ向かっているようです。

だからもうデジカメはいらん! 勝手にやっとれ!

片雲の風に誘われて