雑記

物欲魔王を撃退せよ!

投稿日:2010 年 12 月 13 日 更新日:

どうやら本格的に冬眠のシーズンがやってまいりました。これでやっとヒマ人にも休息の日々が訪れるのかと喜ばしい限りでございます。しかし良いことばかりとは限りません。家から一歩も出ずにPCの前に腰を下ろし、ネットなど徘徊しておりますと知らなくてもいい余計な情報が流れ込んできます。ネットには物欲を刺激する有毒な情報が満ちあふれております。ちょっとした心のスキに物欲魔王はスッと忍び寄ってきます。そして一度憑依されたら最後、宿主を乗っ取るまで猛威をふるうのでございます。(爆)

物欲魔王は一緒に「貧乏神」も連れてきます。物欲魔王が去った後には貧乏神が住みつき、心も体も蝕まれていきます。物欲魔王と仲良くなると破滅への道をたどるのでございます。では世にも恐ろしい物欲魔王から身を守り、撃退するにはどうすればよいのでしょうか?

スポンサーリンク

物欲魔王に狙われやすいのはどういう時か? これを考察するにあたり、ある法則に気付いてしまったのです。およそあらゆる趣味的なものにはハードとソフトの両面が存在すると思うのですね。これは主にコンピュータの世界で使われる言葉ですが、別にコンピュータに限らずあらゆるものに当てはまります。もっとわかりやすく言えば、ハードとは物理的な「道具」や「装置」のことであり、ソフトとはその道具を使って何かをする「技術」、あるいはそれによって生み出される「作品」のことを指します。

何か趣味的なものをするためには多かれ少なかれハードが必要になります。言うまでもなくサイクリングには自転車が必要であるし、その他ウェアとか小物も必要ですね。全部揃えたら結構なお金がかかります。道具が要らなさそうに見えるランニングでも、シューズとかウェアは要るし、ちょっと凝り出すと心拍計とかそれなりに道具は必要になってきます。同様に音楽をやるには楽器が必要だし、写真を撮るにはカメラという道具が必要です。

一方それに対するソフトは何かといえば、サイクリングなら自転車で遠くへ行くための体力と技術、地図読みなどのプランニング知識、ランニングなら速く長く走るための体力づくり、音楽なら演奏技術とか作曲法、写真なら撮影技術やそれによって得られる作品がこれに当たります。

ここで大事なことは「ソフト」の部分に集中している間は決して物欲魔王は近寄ってこないということです。僕は自転車にはまったく物欲がありませんが、それは自転車そのものに興味があるからではなく、自転車に乗って楽しむことを第一義としているからです。たとえ高価な自転車を買ったとしても、乗り手というソフトが伴っていなければ決して速くはなりません(軽くなった分はあるかもしれませんが)。それが特に顕著に表れるのは楽器の演奏で、いくらいい楽器を買っても演奏技術が未熟であればまったくいい音で鳴ってくれません。逆に上手い人が演奏すればどんな安い楽器でも素晴らしい音で鳴ってくれます。まさに「弘法筆を選ばず」です。ろくに練習もしないくせにこの楽器はダメだと言って放り出してしまうのは楽器に対して失礼というものです。だからこういうものに対しては物欲が起こらないんですね。ソフトが追いついて初めて良い道具を手にする資格が生まれるのです。

意外に思われるかもしれませんが、僕はPCのハードにもまったく物欲がないんですね。遅くてどうしようもなくなったらさすがに買い換えますが、平均4年くらいは1台のマシンを使い続けています。それはたぶんソフト屋であるからこそ、ソフトを作る方に興味が行ってるからなのでしょうね。ハードをいじるより、ソフトの性能を極限まで高める方が楽しいんです。あんまり高性能なマシンで作ると他のマシンで遅くて使い物にならなかったりするので、多少時代遅れの方がいいんですよ。

さてここで話を写真に進めると、写真にとってのハードとはカメラであり、一眼レフなら交換レンズも含まれます。あとはフィルターや三脚といった小物類。一方ソフトとは具体的に言えば、プリントされた写真をはじめ、写真集や写真展といった目に見えるものから、被写体を見つける観察眼、フレームワーク、根底にあるテーマや写真観といった目に見えないものまですべてが含まれます。このうちソフトの方面に興味が行ってるうちはいいんですよ。写真を撮るのが楽しくて仕方がない、そういう方は幸せです。その間は決して物欲魔王は近寄ってきません。ところが思うように写真が撮れなくてスランプに陥ると、どうしてもハードの方に目が向いてしまうのですね。気分転換とかいう大義名分のもとに、カメラを替えてみたら写真が変わるかもしれないとか考え始めるともういけません。その瞬間、物欲魔王はすかさず人の心に侵入してきます。

写真が他の趣味と少し異なると思うのは、ハードに依存する部分がかなり大きいことなんですね。これがややもすると物欲に走らせる根本的な原因なのではないかと思います。昔は写真を撮るにも熟練した技術が必要とされましたが、今のデジカメはシャッターボタンを押せば誰でもキレイな写真が失敗なく撮れます。カメラマンという職業は近い将来成り立たなくなるのではと思います。少なくともフィルムの時代は同じ35mmフィルムという範疇の中ではどんなカメラを使おうと画質に差はありませんでした。あるとすればレンズの差くらいのものです。ですからカメラの性能にかかわらず、写真の出来を左右するのはすべて撮影者の腕にかかっていると言っても過言ではありませんでした。ところがデジタルの時代になって、カメラそのものの性能によって出来上がる写真の質に明確な差が出てきてしまいました。乱暴な言い方をすれば、新しくて高いカメラほどキレイな写真(良い写真とは違います)が撮れるということにはほぼ間違いありません。そうなると、いいカメラを手に入れることがいい写真を撮るための必須条件であるかのような錯覚に囚われやすくなるのですね。もちろんそれが幻想であることは火を見るよりも明らかですが、悲しいかな人間とはそういう幻想にすがりたくなるものなのです。たぶんカメラの性能に酔いしれて写真が上手くなったように錯覚するのでしょうね。

カメラと同様に物欲に走りやすいものといえば「クルマ」があると思うんですね。クルマは自転車と違ってエンジンの力で走るので、自分の体力は関係ありません。高性能なクルマを買えば高速をガンガン飛ばせる・・・これは間違いないでしょう。使う人間の能力とは関係なくハードの性能に依存するところがカメラと類似しています。新しいクルマを手に入れるということは、加速性能だったり、ゆったりした乗り心地だったり、それによってもたらされる何某かの快感を得ようとしているわけです。かくして一度物欲に走ると次々と新車に乗り換えたり、チューンナップを繰り返したりして際限なく金がかかることになります。しかし僕はクルマにはまったく物欲がありません。クルマの性能に興味があるわけではなく、それを使ってどこかへ行くこと、すなわちソフトの方に興味があるからです。クルマは完全な実用品と割り切っているので、たとえボコボコになろうとも壊れるまで乗り続けます。(笑)

総じて言えば、ソフトである人間への依存度が高いほど物欲は低下する傾向にあります。なぜカメラだけが物欲に走りやすいのか、考えてみれば不思議なことであります。カメラを替えたら自分の写真が変わるわけではない。ダメな写真はいつまで経ってもダメなままです。ソフトである人間が変わってないんだから、当たり前のことですね。いい写真が撮れないストレスをごまかすために、次々と新しいカメラが欲しくなるスパイラルに陥っているのです。写真を撮るからカメラが欲しくなるのではなく、写真を撮らないから欲しくなるのです。だから物欲魔王を撃退するには写真を撮りまくるのが最も有効なんですね。高いカメラでヘボい写真を撮るより、安いカメラでびっくりするような写真を撮る方がカッコイイと思わなければなりません。写真が撮れないのは言い訳に過ぎません。上手い人の写真を見てると日常の何でもない一コマから小さな「美」を切り出しています。それはよほど注意深く観察する眼がなければ見逃してしまいます。どこか遠くへ行かなければ撮れないとか、キレイなものがないと撮れないとか言ってるのはまだまだ甘い。近所では一枚も撮れずに帰ってくるのは要するに修行が足りんのですわ・・。物欲魔王を退治するには、カメラ買うヒマがあったら写真を撮れ! これしかありません。(爆)

スポンサーリンク

関連記事

-雑記
-

Copyright© 片雲の風に誘われて , 2017 AllRights Reserved Powered by micata2.