2/3の曽爾ポタ(1)

スポンサーリンク
写真


上長瀬の吊り橋

本来、自転車と写真を組み合わせてはいけないというのが鉄則なのですが、最近写真を撮りたくて仕方がないので禁則を破っております(笑)。ただこの禁則が生まれたのはデジタル時代になってからのことです。思えば今から15年ほど前の第一次自転車時代の頃はまだデジカメもなく、普通にフィルムの一眼レフを背負って走っていました。その頃はそんなに枚数を撮ることもなく、これぞというポイントで数枚撮る程度でした。ですから写真を撮ってもそんなに時間を食うことはなかったのです。当時のツーリングレポートを見ると平均速度がものすごく速いことに気付きますが、それは写真を撮るためのストップ&ゴーが少ないからです。

ところがツーリングにデジカメを使うようになり、ブログまでやり始めると、最初から最後まで全部撮らないと気が済まなくなってきました。どんなしょーもないことでもブログネタにするために写真を撮ってしまうんですね。そうなるとちょっと走っては停まり・・・の繰り返しで平均速度は遅くなる一方です。写真を撮ることに気を取られると走りを楽しめなくなる・・・それが写真と自転車を組み合わせてはいけない理由です。

いい加減このジレンマが嫌になってきたので、今年からデジカメを持つことをやめ、代わりにフィルムカメラを持つことを決意しました。つまり昔のスタイルに戻すということですね。そもそも昔はブログなんてものはありませんでしたから、その日のうちにレポートをアップする必要もありませんでした。アップするのは写真の現像が上がってからの話です。昔はそれで何も困らなかったのです。デジカメを持って行くのはすべてブログのためと言えます。この即日アップさえやめればデジカメを持たずフィルムカメラでじっくり撮影することが可能になるのです。

今回のポタではOM-4Tiに35mmレンズだけを付けて出撃しました。必然的に車種はフロントバッグが付くMR-4Fになります。OMのコンパクトさは自転車ツーリングには最強です。フィルムは24枚撮りのカラーネガを2本だけ持って行きます。ただしあくまでも1本は予備とし、最初の1本をきっちり撮り終わることが理想です。2本目に繰り越してしまうと次の撮影まで現像できなくなるので、できるだけ避けたいという意識が働きます。今回はちょうどうまい具合に1本撮り終わることができました。こういう時は妙に気持ちいいです。(笑)

こんなことは無限に撮れるデジカメなら意識さえしないことですが、フィルムで撮ってみるとこの有限感覚こそが気持ちいいことに気付きます。無限に撮れるということは果たして自由なのでしょうか? 無限に撮れることがわかっていると、どうでもいいしょーもない写真ばっかり撮ったり、同じシーンを何度も撮り直したりしてちっとも前に進みません。一方、最初から24枚しか撮れないことがわかっていれば、本当にいいと思ったシーンしか撮らなくなりますし、残り枚数を気にしながらどこで何枚撮るかなんてことも計画して撮るようになります。そしてフィルムを全部使い切ってしまえば、あとは写真のことは忘れて走りに徹することも可能になるのです。それこそが真の自由ではないでしょうか? 無限に撮れるということは逆にそれに縛られてしまっているのです。有り余ることが自由なのではなく、限りがあることが自由なのですね。

デジカメで撮るとたくさん撮りすぎて、帰ってからいいコマを選び出すのが本当に大変です。しかしフィルムで撮ると初めからそれなりに納得して撮っているので、捨てるコマがほとんどありません。デジカメは撮るのは楽な代わりに、帰ってから苦労するのです。コマ選びやバックアップはもちろん、RAW現像などやり出すといくらでも時間がかかります。一方、フィルムは撮影時にすべてが完結しているので、帰ったら現像してそれでおしまいです。つまり手離れがいいということです。

このことを突き詰めて考えると、あることに気付きました。つまり、これは人生と同じではないか?ということです。フィルムで撮れる枚数は限られているし、失敗したカットを消すこともできません。もし人生が無限であるとすれば、真剣に生きようとするでしょうか? もし失敗を取り消してやり直せるとすれば、悩んだり反省したりすることがあるでしょうか? 人生は有限であるからこそ精一杯努力して生きようとするし、やり直しが効かないからこそ悩んだり成長したりするのです。デジタルがつまらないのは、時間の不可逆性という物理学の根本原則に反しているからに他ならないのであります。

前置きが長すぎました(笑)。やっとこれからが本題です。(^^;



R368の旧道で比奈知ダムまで上っていきます。ここはダム直下の上比奈知。


長瀬地区に入りました。


長瀬からR368は急に狭くなります。


名張川にかかる橋を渡ります。


どうも自分は川を撮るのが好きみたいです(笑)。これが一番気に入っている写真かも?


上長瀬の名張川

つづく・・・

(写真:三重県名張市)

片雲の風に誘われて

コメント

  1. KAY.T より:

    ずいぶんと哲学的になってきましたね。

    人生とフィルムで撮るアナログ銀塩カメラを同期化させるとは…。

    デジタルはなおおよばざるがごとし…。

    デジタルの華やかさは実は見かけだけのもの…。

    実体は別のところにあるものと思いたいですね。

    いずれ、世間はアナログに帰っていくのだと思っています。

    レトロ志向がいずれそうさせてくれるでしょう。

    アナログ回帰現象…ですね。

  2. Indigo より:

    枚数を制限して写真を撮る、というのは確かにデジタルじゃ見かけないことですね。
    しかし、写真の腕を上げるには大事なことだと僕も思います。
    「限られた物しかない」という状況になると、それを如何に上手く利用するかという
    考えが深くなってより工夫するようになる、というのは普段の生活にも言える事でしょうし。

    若者がこういうことが言っても説得力ないかもしれませんが、
    何でも出来る環境といういのは、人にとって最も残念な環境なのかもしれませんね(^^;)

  3. SORA より:

    @KAY.T さん

    デジタルは実体のない泡のようなもの・・
    自然界には存在しない架空の産物であるからこそ人間の生理に受け容れられないのです。

    と叫んだところで、アナログ回帰はあり得ないと思います。
    一度動き始めた歯車は利便性という魔力の前に逆回転することはないのです・・

  4. SORA より:

    @Indigo さん

    写真は制約が多いほど上達が早いんですね。
    デジカメは枚数はもちろん、ISO感度もホワイトバランスも何でもありですから制約が限りなく少ない状況です。
    初めからこういう状況で何の工夫もなく撮っていると、すぐ飽きてきます。

    もっとわかりやすい例で言えば、お金が無限にあったとすれば生きる意味さえなくなるんじゃないでしょうか?